2026.3.14

粉雪の歓迎を受け、六分咲きのミツマタに春を見た豊かな一日

冬の到来! さむい! 寒い! 甘露の粉雪が舞う。能勢電車妙見口駅、かめたに駐車場前に元気な顔が、ミツマタ愛好家さんの笑顔が集まった。(参加者33名)
豊能町観光協会、豊能町観光ボランティアガイドの会が共催する『春の散策ツアー』です。

今回は観光ボランティアガイドの会から11名、観光協会から3名の参加です。観光ガイドさんは観光ガイドのオーソリティの方ばかり。井戸城、西方寺、東灯籠・炭焼等々…吉川の魅力を存分に教えて頂ける‥ガイドは起承転結でよくわかる。

西方寺の前では寺歴のガイドの外、入母屋造りの破風に龍がついています…なぜ! どうして!‥楽しい散策ツアーです。途中に炭窯が飛び込んできた…。奈良・東大寺の大仏鋳造に多田銀山の銅を使用ました。銅を熔解する時に使う燃料が松炭とクヌギ炭を使用していますね。

当時、吉川は多田銀山付幕府領(天領)地です。1840年に幕府領から高槻藩預かり地(鉱山枯渇)となっています。おびただしいクヌギ炭が余りだし、仕方なく処分する為に池田へ売りに出したのが切炭(菊炭)の始まりとも…。
(現)長尾街道沿いと並行して長尾街道がある。…200年前?にタイムスリップさせてくれるロマンある旧長尾街道。少し歩くと関電鉄塔前に着く。

ここに台場クヌギ保存会の方が管理する。台場クヌギとは‥何ぞや!‥のガイド有り。

ここから少し歩くと吉川峠です。峠に町営の水道貯水タンクがあって、かつては西方寺がこの場所にあったのです…とガイドさん。
ここに立つと栄枯盛衰、吉川の歴史がよく分かりますね…。目の前が新興住宅の東ときわ台、南に行くと旧長尾街道へ・池田へ、東はトンボ池・青貝山、北西へは吉川集落へ至る…いいね(参加者の声)

豊能町吉川は北摂屈指の里山の地(雑木林)。この峠からトンボ池、青貝山、ミツマタ群生への林道へ至る。ポイント標識も設置してあり…迷う事は無い?。大阪市内から一時間少しで…手つかずの雑木林・里山の自然・低山歩きが堪能できるのは最高の贅沢地‥ですねと…。ワンダフルと云う参加者もいた。

等々、談笑しながら道なりに歩くとビオトープ地に着く。ここを右へ鉄板橋を渡りミツマタ群生地へ… 本日の主役の舞台です。…ミツマタは吉川の基幹産業の一つ、炭よりミツマタの方が3~5倍の高値で取引されていた。

ここ上光ケ谷の山裾にへばりつくように吉川の集落が点在していた‥。墾田開発の痕跡、石垣も見られ栄枯盛衰は世の習いとか‥悠久の歴史、いにしえの郷土(吉川)を知る。
『主役のミツマタ』は只今6部咲き状態!‥。ガイドさんからイセコ谷、ミツマタのガイドを戴く。ジンチョウゲ科のミツマタから‥日本の紙幣の元はミツマタですと…ガイドはつづく…。

出発時は粉雪が舞う寒さであったが…イセコ谷は春爛漫。日向ぼっこをしながら各自持参のランチに舌鼓です。かっての賑いは消えても、今もミツマタは当時の元気を繋いでくれている。豊能町の吉川の大きな観光資源です。

お腹も満腹になり眠気が来ない内に次の目的地へ、源治丸桜へと出発です…。
途中、トンボ池のビオトープ地があります。平成29年に地元の有志『吉川光ケ谷トンボ池倶楽部』が管理して頂いている。

ビオトープの上にヤシキ谷遺跡地(伝承)に山桜が自生『源治丸桜』と命名されたエドヒガン桜があります。樹齢推定300年は経つ‥。毎年三月の下旬頃が見頃、上光ケ谷ヤシキ谷跡地に源治丸桜が咲き誇ると…圧巻です。近年、遠くから訪れるリピーターも増えました。

ミツマタ散策&源治丸桜は地域の顔(ランドマーク)になっています。
今回の散策ツアーのアンケイトに楽しかった。良かったよとの声を沢山戴きました。
来年もお待ちしております。 (上山)