2024.12.5

~南丹市八木町・戦国時代武将内藤ジョアン、龍興寺、大堰川、清源寺を訪ねて~

「知らずに 身につくチリホコリ だから心の洗濯を」 八木町の寺院で戴いた言葉です。

今年の豊能町観光協会会員研修は京都府南丹市八木町です。
戦国武将内藤ジョアンの歴史と大堰川、社寺等歴史風土に恵まれた豊穣の地。…訪れる人を丸くまんまるに、心なごませてくれる…そんな町である。今年の参加者は16名でした(高山右近顕彰会、豊能町観光ボランティアガイドの会、豊能町観光協会協力会員、豊能町観光協会会員)。

師走の紅葉の一大絵巻を車窓から楽しみながら…バスは一路、北へ…南丹市八木町へ…
10:00 南丹市八木支所 八木市民センター3階研修室を使わせて戴いた。南丹市商工観光課 課長補佐(辻様)、八木町観光協会会長兼商工会会長(寺田様)、観光事務局(中川様)から➀八木町の観光について ②内藤ジョアンの顕彰についてお話して戴いた。

八木町観光協会会長は八木町商工会会長をも兼務されている。観光と商工をお互いに高め合い町を挙げた賑いの場を作る事を常に考え取り組まれている。
キリシタン信仰者であった戦国武将内藤ジョアンと高山右近のベクトルは同じ町どうし。豊能町との「右近inジョアン」なる姉妹都市にもなればと話された…地域・広域の町づくりにも意欲的なお話を戴いた。

内藤ジョアンは高山右近と同じキリシタン信仰者であり共に数奇な運命を持つ戦国武将です。八木町でジョアンを福者認定に向け町を挙げて取り組みをされたが…ハードルが高かったと話された。
ちなみに高山右近は没後400年、2016年に福者に認定されました。

辻様からは能勢家とのお話、能勢家とキリシタンや日蓮宗とキリシタンとの関係の話は興味深々です…。地域歴史を研究されている先生です。

研修は室内から現地へバス移動→事務局(中川様)の案内を戴き、内藤ジョアン碑の前に立つ。碑の前が八木城へ至る入口です。明智光秀が丹波平定に際し、最初に攻めたのが八木城からですと史実からの説明を受ける。今回の研修では山城へは行きません。

叉先人・偉人の足跡を後世に繋いで行こうと内藤ジョアン碑が建立されている。新たなアィデイアで新たな価値の創造です。観光として多くの人が立ち寄るスポットになっています。

内藤ジョアン碑と目と鼻先に龍興寺(臨済宗)のお寺が見える。明智光秀の丹波平定(1575年)の頃、兵火に合い焼失していますが、丹波口の要の寺として細川勝元(室町時代中期武将)により再建された格の高い方丈(本堂)が建立。

京都に数ある社寺の中でも心安らぐ時を過ごせるお寺様。境内に梅園があり香りが漂う季節には再度訪れたいね。方丈(本堂)の広縁に腰を下ろす。五人は座りごこちのいい数! 人生まだまだ頑張りましょう…。お腹の虫がグーとなり出す。

昼食は大堰川畔に立つ八光館での食事です。五臓六腑が喜ぶ料理に舌鼓、後期高齢者に優しい味付けに…皆さん旺盛な食欲、完食しました。
八光館の前で記念写真、物忘れ「あれ」「これ」の域に入っています。各自名札を付けています。

木喰仏が…早く来いよと呼んでいる。一路、清源寺へと向かう。
八木町の北山裾に立つ清源寺さん、江戸時代末期、日本中を廻り千体の仏像を刻んだ僧(木喰満上人)がいた。行脚の途中に清源寺に立ち寄り28体の仏を刻まれている。今、羅漢堂に安置(22体)する。みな微笑み仏ばかり…「みな人の 心をまるく まん丸に どこもかしこもまるくまん丸」

ご住職の法話を戴く…感謝する事を忘れないで、そして有難うの心を持つ事で、木喰仏の微笑みが戴ける…。今回の研修では多くの方との出会い縁を戴きました。皆さん有難う御座いました。感謝です。