2025.11.19
石仏の歴史への鋭い問いに光明が見え、ますます豊能が面白い!
知りたい! 聞きたい! 豊能町の今昔の…いろんな話を。今回は小嶋 均氏(学芸員/考古学)を講師に迎え、歴史の原点や郷土を知る…話に興味津々、35名の受講を戴いた。
みどり豊かな豊穣の大地に人が住み始めたのはいつ頃からだろうか?川尻地区に川尻遺跡があり、ここから石器時代の土器が発見されている。
中世の山城「余野幣ノ木城、余野本城、井戸城や吉川城」等、寺関係では法輪寺の姫の塔。石造物は余野十三仏や木代たぬき藪の摩崖仏等…石仏の密集地帯である。歴史的遺産の特長は大鉱山地帯の上に町がある「奇妙山親紘、七宝親紘、高山親紘…」に興味津々…。街道では余野旧街道の面影が今に残る所の紹介も…。
政治的激動期を経て、近世を迎え明治22年、町村合併で余野・川尻・木代・切畑・野間口の五ケ村が合併し東能勢となり、吉川は吉川村となった経緯…。昭和52年に町制施行により豊能町が誕生している。

質疑応答の時間を持って頂き、参加者から…なぜ! どうして! 西地区の吉川には多尊石仏が無いのか?不思議だ?…との声に「吉川地区の高代寺は真言宗、歴史は古く空海からの古刹であり、吉川地区は真言宗の根強い地域であったようです」。
叉、今の考鬮寺や西方寺は古くは高代寺の僧が勤められていた寺でもある。

