中世の城好きには…たまらない? 山城(砦)『水牢古城跡』

野間口霊園上をほぼ直登する。一時間足らずで頂きに着くが…道は険しい。頂は平滑され、ここに中世の山城(砦)『水牢古城跡』がある。遺構(礎石・瓦・井戸・石垣等)は見つかっていない。西側の上部に土塁の跡が少し確認するが、石積みの跡は無い。ここから妙見山・光明山へ尾根伝いに行けるが、谷で区切られ独立峰(山)である。北東には鴻応山(牧)に湯谷ケ谷(切畑)を望むことができるが、立木で展望できず。25 年前の調査時(豊能町郷土史研究会)では見渡せたが、令和 2 年では展望できず。

南は希望ケ丘の新興住宅が箱庭のように堪能できるが…。この水牢古城より南東に位置するのが旧余野城本城へ至る道である。

水牢城(砦)は 1185 年~89 年(文治年中)、能勢氏が余野本城の東の砦(出城)として築城した記録が残る。ともに余野・川尻を所領していたようです。1467 年、応仁の乱勃発、これに出陣をした余野本城兵士は殆んど戦死・没落…城は廃城。この約 282 年間、余野本城の東の砦(水牢城)としての機能を持っていた。余野本城は、1493 年、余野頼幸の築城で能勢三惣領のその一人である。(野間氏・能勢氏・余野氏を三惣領)

時代は 1572 年頃、旧余野本城を修復しないで、新余野城(余野幣ノ木城)を築城する。場所は元城山高校の前身地である。 (大阪府文化財愛護推進委員/上山秀雄)