上杉尾根コース沿いにある『八丁茶屋跡』
能勢妙見宮(山)は能勢頼次公の開基です。一時期滅びた能勢家を再興した中興の人です。
能勢と言えば能勢妙見さんと言われるほどよく知られている。池田方面から妙見宮へは池田市木部に出て、ここから長尾街道を通り、花折れ街道へ合流する。吉川の上杉池前に二十二丁石が建つ「是ヨリ御山ニ 二十二丁市外十三 妙正講」とある(一丁は109m)。
江戸末期には 300 を超える講があり…この丁石前で足を休め、草鞋の紐を結び直し…霊験を信じ…いざ妙見さんへ…玉の汗を流したのでしょう。一時間強のきつい登りがつづく。
今回は上杉尾根コース沿いにある『八丁茶屋跡』の落穂を拾ってみましょう。
『文政十一年(1828)子年五月、余野村の家主・忠左衛門が、吉川村方領地にある上杉尾根筋で、妙見宮へお参りする人の茶屋(一軒)を建てたいと、吉川村御役人中へ差し入一札を入れています。吉川村は早速、了解の返事をだす。お礼として毎年、12月の暮れに銀 8 匁を遅滞無く納めます。万一滞った場合は茶屋取払い下さい』…証文を取り交わしています。
吉川村古地図にも当時の茶屋の位置が記されている。今、八丁茶屋前には妙見宮の石灯籠石が一基、外に立派な墓石が一基倒壊しています。
さて、吉川村古地図に『八丁メ ヤシキ』と読み取れます。ヤシキからして能勢妙見宮の高僧(宮司)が隠居をして、ここに庵を建てた…と推察する。残念ながら証となる書物は見つかっていない。牽強付会にならないように…したい。(*江戸中期頃 1 匁=1,250円)