切畑「貝川三位の墓」への道標がなく現地へ行けないとのご連絡を頂きました

平素より豊能町の石造文化財探訪に興味を持っていただき嬉しく思っています。

先のお盆の期間に切畑の「貝川三位の墓」を訪ねられたが…整備不備等で「貝川三位の墓」に行けず…ご気分を悪くされたことでしょう。
町石造物愛好様には大変ご迷惑をおかけいたしました。心よりお詫び申し上げます。

町役場より連絡が入り、即現地現場確認(8/20)に入りました(協会2名)。
府道109号には道標が設置してあるのですが…ご指摘の『貝川三位の墓』への入口が分からない? 墓に至る上り口鉄柵に標識がありません(以前は設置してあったのですが剥がれ落ちています)。此れでは分かりませんね。柵に矢印設置をしなければ…。近々に簡易式の矢印を設置いたします。改めて『貝川三位の墓』へ来ていただけますようお待ちしております。
(豊能町観光協会)

ルートを歩く~貝川三位の墓所へ~

早速歩いてみることにしました
位置情報は34°55’16.6″N 135°30’59.8″E
この道案内板が向いている方へ…
矢印の里道へ上っていきます
この里道の柵に貝川三位の墓への案内があったのですが、今は取れてしまっていました
この位置にしっかり案内板を設置する必要があります
藪をくぐっていきます
少しひらけたところを更に右上へ
湿り気があると滑り落ちそうな細い斜面の道。気をつけてください
篠竹が折れて道を阻んでいます
どんどん上へ…猪か鹿か、大きな獣が逃げていく音がしました
二またに分かれている道をさらに右上へ
余程気をつけてみないと分かりにくいのですが、看板があり、小さなお墓がありました
左側の木が目印になりそうですが、ココにも道案内を付ける必要がありそうです
静かに佇む貝川三位(藤原長乗)の墓所

貝川三位(かいかわさんみ・藤原長乗の墓)
石材:花崗岩
貝川三位の墓と伝えられ、一石造笠塔婆で10m2の塚の上に立ち、宝珠、笠の流れ、軒反りなどは鎌倉時代の形である。12世紀初めに木代に来住、大円を拠点に木代の荘(切畑・木代・余野)開発の祖といわれている。
平成4年12月 豊能町教育委員会

ルート案内看板の不備を確認、早速の対策を検討しました。
重ねてお詫び申し上げますと共に、確認の機会を頂きましてありがとうございました。
今後とも、何卒豊能町並びに観光協会をよろしくお願い申し上げます。

24/08/22 追記:簡易的な道案内を設置してきました

2024/08/22

道路沿いの里道入り口1カ所と山中のポイント2カ所に、簡易的なものではありますが早速道案内を掲げてきました。

東能勢地域開発の祖であります貝川三位長乗の墓所に、こうしてこの地で生活出来ている御礼と共にしっかり手を合わせて参りました。
ありがとうございました。

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