125 考鬮寺 |
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本尊は阿弥陀仏、観音菩薩(右)・勢至菩薩(左)。 尚、観音菩薩については、吉川下之町の上西宅の前の畑に埋もれていたのを、考鬮寺の何代目かの住職が、お寺に安置されたとの説も残っている。又、大水がでてお堂も流されたが、観音菩薩様は流されず田んぼの中に埋もれておられた。 浄土宗(元は高代寺と同じ真言宗) 天正年中(1573−1592)の創建とされ、本堂・厨子奥には本尊阿弥陀如来立像が安置(鎌倉初期の作と推定)されている。延宝八年(1680)高代寺の住職・景運と吉川村檀徒が争い、一部の僧は本願八世蓮如に引かれ高代寺を離脱する。この時、吉川村檀徒も高代寺から離れ、翌延宝九年に考鬮寺は真言宗から浄土宗へ改宗、池田市にある法園寺の末寺となり、寺名も吉川山紫雲院考鬮寺と改めた。 |
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嘉永五年(1852)、火災、堂宇全焼、安政二年(1855)2月27日、20世住職・星誉上人が再建落慶。 考鬮寺では毎年お釈迦様の誕生日(5月8日)を祝って潅仏会(花祭り)が行なわれる。つつじ、レンゲで飾り付けられた小さなお堂内に桶を置き、その中に右手を上に、左手を下に指差した小さなお釈迦様を安置し、お参りした人はお釈迦様の像に甘茶をかける儀式。甘茶をもらって帰り、その甘茶で習字をすれば上達する、また、家の周りに撒くと蛇(害虫)除けになるとも言われている。 |
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