1 余野十三仏 |
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室町末期にあたる永禄7年(1564)の造立で土地の人からは「余野十三仏」と呼ばれている。表裏2面に各20体の仏像が刻まれ、表面上半部の三尊は、主尊が錫杖を持ち、両脇侍は合掌の地蔵菩薩立像である。下半部には上段9体、下段8体、計17体の地蔵立像が並んでいる。裏面にも同じく三尊像が刻まれ、両脇侍は地蔵の合掌立像であるが、主尊は宝冠をつけ何仏か定かでない。刻銘は「本願道清 永禄七年二月時将日」とあり、道清が本願となって同行多数の後生安楽を願って建立したものであろう。 |
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○逆修塔である。逆修とは、生前に自らの法事を修めて死後の極楽往生を願うもの。 ・室町時代末期に世の中が非常に乱れ、人々は現世に絶望して死後の極楽往生を願うようになった。 ・ ・多尊石仏は東能勢地方独特のもので、 ○二面石仏(表面が地蔵菩薩、裏面が阿弥陀三尊) ・今の場所に移された時に裏表が逆になった可能性がある。本来なら阿弥陀如来が表面で、裏面が地蔵菩薩の筈である。裏面の阿弥陀仏の頭部には盛り上がった肉閨か宝冠と思しきものが見受けられる。 ○17体の地蔵立像が彫られている。 ・石仏像立に際し、道清が中心になって住民17戸が参加していることを示唆している。 ○「十三仏」という名称は余野の小字名。 ・仏様が十三体彫られているわけではない。表裏二十体の仏様 ○時将日(じしょうび)とは時正日のことで、昼と夜の時間が同じ日。即ち、春分の日と秋分の日を指している。彼岸の中日。 |
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